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玉門関〈世界遺産〉

ゴビの中に建っている中国と西域を結ぶ回廊を防衛するために設置された漢代の関所。

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跡。当時、ここから西は漢王朝の勢力が及ばない所だった。現在の玉門関は小方盤城と呼ばれ、10mほどの風化した城壁が残っている。また、近くには漢代に造られた万里の長城が延々と続いている。玉門関は、シルクロードが北道に通るための要衝である。前漢、張騫が使者として西域に赴いて以来、中原地域のシルクや茶葉など、さまざまな品物は、関所の玉門関を通して、次から次へと西域の国々へ運ばれて行った。と同時に、西域各国の葡萄や瓜、果物などの特産品および宗教、文化も相次いで中原へ伝わてきた。当時、玉門関地域は、ラクダ隊商で賑わい、キャラバンの姿が絶えず、使者が往来し、極めて繁栄した。

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前漢に、玉門都尉の治所であった。王莽が帝位を簒奪してしばらく、シルクロードを中断し、玉門関も封鎖された。その後、後漢の建武帝から延光帝までの百年間余りに、シルクロードは数回に渡り、開通されたり、封鎖されたり。そして、後漢になり、玉門関は玉門都尉の管轄にされ、南北朝時代以来戦争が相次ぎ、中国と西域各国の交流ルートは海のシルクロードが開通され、日増しに盛んになり、陸上シルクロードはだんだん寂れてきた。